9月29日(火)放送の「セブンルール」(フジテレビ系)
セブンルール 河本清順(かわもと・せいじゅん)
映画の街の尾道に映画館を復活させた支配人
尾道市の映画の歴史
広島県尾道市は小津安二郎監督の『東京物語』や大林宣彦監督の『転校生』などが生まれた土地であり、「映画の街」と呼ばれる。
おのみちフィルムコミッション公表資料から内閣府政策統括官室が作成した資料によると、1929年の『波浮の港』(木藤茂監督)から2005年の『男たちの大和/YAMATO』(佐藤純彌監督)まで、尾道を舞台とした映画は40本もの作品が途切れることなく続いている。
初めて映画のロケが行われた1928年以降、2015年までに150本以上の映像作品の撮影が行われたとされている。1950年代の尾道市には約10館の映画館があったが、テレビの普及とともに相次いで閉館していった。
河本清順さんとは?
シネマ尾道支配人の河本清順です。開館12年目尾道で唯一の映画館シネマ尾道を運営するNPOの代表。女性支配人。朝日新聞「河本清順のシネマチ通信」、地元経済誌などに映画コラムを掲載。エフエムおのみち、尾道ケーブルテレビに出演中。尾道映画祭2019ディレクター、日プロ大賞選考委員、尾道観光協会理事。
河本清順さんは1976年に尾道市に生まれ、尾道市内の高校を卒業後、京都市に引っ越して服飾系の専門学校に通った。尾道と同じく「映画の街」とされる京都では足しげく映画館に通い、エミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』や小津安二郎監督の『東京物語』に感銘を受けた。
専門学校卒業後には地元に戻り、服飾関係や実家の飲食業(焼き肉店)に従事していた。清順という名前は映画監督の鈴木清順に由来し、映画好きの祖父が命名したという。
2001年に尾道最後の映画館が閉館した際、平凡な20代の女性だった。河本は落胆するとともに、尾道市民として映画館を維持できなかった後ろめたさも感じた。「映画の街」であるのに映画館が存在しないことを友人に指摘されて心を揺り動かされた。
日本中のミニシアターに足を運び、経営者や支配人から情報収集を行った。新潟市のシネ・ウィンド、群馬県高崎市のシネマテークたかさき、埼玉県深谷市の深谷シネマ、京都市の京都シネマなど、運営形態も運営費も多様な映画館を調査する過程で、銀行を改装して誕生した市民映画館である深谷シネマに感銘を受けた。尾道市と人口規模が等しい(約15万人)深谷市で1スクリーンの映画館が成り立っていることに大きなヒントを得る。深谷シネマはわずか1,000万円の資金で再建された映画館であり、開館4年目を迎えていた。
河本清順 (@cinemaonomichi) | Twitter
Wonderful World 第三回 「シネマ尾道物語」-ゲスト 河本清順(シネマ尾道/支配人)
シネマ尾道とは?
シネマ尾道 WEB
住所 広島県尾道市東御所町6-2 電話 (0848)24-8222
小津安二郎監督の不朽の名作『東京物語』(1953)や『転校生』(1982)、『時をかける少女』(1983)、『さびしんぼう』(1985)など大林宣彦監督の三部作の舞台となった広島・尾道。JR尾道駅から商店街へ30秒歩くと、「シネマ尾道」の看板が飛び込んでくる。
詳しい記事はgoo映画をご覧ください。
河本清順のシネマチ通信
朝日デジタルの河本清順のシネマチ通信のリンク集
- 作り手と観客 リモート交流 (08/30)
- 映画愛する心 打ち勝つ力に (06/21)
- デジタル配信 新たな可能性 (05/11)
- 「勇気と決断」 上映会大盛況 (03/22)
- 映画界の未来 若手監督語る (02/09)
- 小学生と監督 映画製作挑戦 (12/15)
- 「東京物語」と尾道の街語る (11/05)
- 映画館関係者 未来探り議論 (09/22)
『河本清順』のセブンルールとは?
河本清順(かわもと・せいじゅん)さんの7つのルールは
1. 予告編は5分まで
2. 上映スケジュールは手渡しで届ける
3. .冒頭5分で引き込まれなければ上映しない
4. 毎日夫と乾杯する
5. 映画人には尾道の美味しいものを食べてもらう
6. 気合を入れる日は前髪を切る
7. 挫けそうなときはゴダールの台詞を思い出す
「セブンルール」の「おひとり様TV」関連ブログ
富永愛【セブンルール】8年ぶりにパリコレに挑戦!